艦隊決戦に際し、水上艦より発進し、敵主力艦を奇襲攻撃する目的で開発された2人乗りの超小型潜航艇。
 1万トンを越える専用の母艦(<千歳><千代田>)まで建造してしまうほどの期待の秘密兵器で、呼称の「甲標的」というのも、万一、存在が露見した場合に「演習用の標的」と言い逃れる為のものだったらしい。

 昭和13年より生産が開始されたが、初期量産型の甲型は母艦からの発進が前提であった為、魚雷と同じ推進方式を採用しており、泊地攻撃には不向きであったにもかかわらず、専ら真珠湾やシドニー湾やガタルカナルなど泊地攻撃に投入され、期待されたような戦果を挙げる事ができなかった。
 その後、局地戦用への道を歩み、前進基地での使用を前提とした発電機を装備した乙型、さらに操縦装置に改良を加え乗員を3名に増した丙型、そして最終型である乗員5人の小型潜水艦である「蛟龍」(丁型)に至り、局地戦用の小型潜航艇が完成した。

 なお、甲標的は正しくは艦艇ではなく、航空機等と同列の兵器である。
 また、特殊潜航艇は「特別攻撃」であるが、一応は作戦後は乗員のみ回収する事になっており、自殺攻撃兵器ではない。(ただし、蛟龍は特攻兵器の指定を受けていた)

 終戦時には115隻の蛟龍が本土決戦用として温存され、さらに500隻の建造中であり、これらの艇の多くは終戦後、呉で解体されたが、この時の写真は有名で、空母<葛城>の写真と並び、「終戦時の画像」として方々で使用されている。(ドックに潜水艦がずらっと並んでいる写真。呉の第四船渠の画像で、両端には丙型らしき艇も混ざっている)


甲標的の戦い:太平洋戦争最初の犠牲 〜真珠湾特別攻撃〜

 昭和16年12月8日。潜水艦から発進した5隻の甲標的が真珠湾に侵入したが、戦果を挙げる事無く、全艇が失われている。
 機動部隊の攻撃に先立つ事、数時間。太平洋戦争最初の犠牲であった。
 この時、ジャイロコンパスの故障により1艇が座礁。艇長の酒巻中尉は自爆を試みたが失敗、人事不詳に陥っている所を米軍に捕獲されてしまった。
 日本軍はこの攻撃を「真珠湾特別攻撃」として祭り上げ、戦死者9名は「軍神」とされたが、捕虜となった酒巻中尉の事は厳重に伏せられた。
 「あの日、旅順の閉塞に、命捧げた父祖の血を、継いで潜った真珠湾。ああ一億は皆泣けり、還らぬ5隻、9柱の、玉と砕けし軍神(いくさがみ)」
 というような歌にまでなったが(大東亜戦争・海軍の歌)、5隻で9人という事を不審に思った人はいなかったのだろうか・・
 まあ、「百発百中の砲1門、百発一中の砲100門に勝る」という迷言を30年以上も使ってた国だから、気付いても無駄だと思って誰も口にしなかったのか・・

 

甲標的・甲型(3号艇)

 名  称   甲標的(特殊潜航艇)・甲型
 建 造 数 36隻(試作艇は除く)
 排 水 量  46トン(水中)
 全  長   23.90m
 直  径   1.85m
 主  機   電動機1基 
 推 進 軸 1軸(二重反転スクリュー)
 出  力   600馬力(水中)
  計画速力  19.0ノット(水中)
 航 続 力 6ノットで8浬(水中)
 乗  員   2名
 安全潜航深度  100m
 兵  装   45センチ魚雷発射管 2基(搭載雷数2本) 

甲標的・丁型

 名  称   甲標的(特殊潜航艇)・丁型(蛟龍)
 建 造 数 115隻
 排 水 量  60.3トン(水中)
 全  長   26.25m
 直  径   2.04m
 主  機   ディーゼル1基 
 推 進 軸 1軸
 出  力   150馬力(水上)/500馬力(水中)
  計画速力  8ノット(水上)/19.0ノット(水中)
 航 続 力 8ノットで1000浬(水上)/2.5ノットで125浬(水中)
 乗  員   5名
 安全潜航深度  100m
 兵  装   45センチ魚雷発射管 2基(搭載雷数2本)