中華民国(その他艦艇)


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武彝 -WuYi-

 元日本海軍・一等輸送艦(第1号型)<第16号輸送艦>。敵勢力圏下への強行輸送を目的に計画された艦で、艦尾スリップウェイから小型艇(大発)を発進させる事で迅速な輸送が可能だった。大戦末期には回天母艦に改造された艦もある。
 第26号は昭和19年12月竣工、復員業務についた後の1947年8月に青島で民国に引き渡され<武彝>となった。
 <武彝>は再武装されることは無く、専ら物資輸送に用いられ1954年に除籍となった。

武彝

 基準排水量1550トン/全長89m/ギヤードタービン9500馬力/速力22ノット
 兵装:なし


盧山 -LuiShan-

 元日本海軍・二等輸送艦(第103号型)<第172号輸送艦>。砂浜などに乗り上げて艦首から戦車等を発進させる揚陸艦で米軍のLSTに相当するが、2回りほどこちらの方が大きい。二等輸送艦は機関違いの2種類が建造されたが、103号型はタービン型である。
 昭和20年3月竣工、復員業務についた後の1947年8月に青島で民国に引き渡され<盧山>となった。
 <盧山>は台湾脱出後は左営港に放置されていたが、1953年に修理され、艦番号<AP−308>が与えられ復帰するが1955年に悪天候により座礁・放棄された。
 LSTと外見が似ているので混同が起こったらしく、1950年に海南島楡林港で航路閉塞の為に自沈した<中條>が第172号だったという説もある。

盧山

 基準排水量870トン/全長72m/ギヤードタービン2500馬力/速力16ノット
 兵装:なし


永靖 -YoungJing-

 元日本海軍・測天型敷設艇<済州>。敷設艇は機雷敷設を主任務とする艦種であるが、日本海軍は護衛艦としての運用も視野に入れており、対空・対潜能力もあった。なお<済州>の属する昭和14年計画分はオリジナルの<測天>に比べて主砲が8センチ高角砲に改められているが、これは対潜水艦対策である。(従来の40ミリ機銃では潜水艦の外殻が貫けない恐れがあった為)
 昭和17年竣工。主に沿岸や近海の護衛・哨戒に従事し、1947年に青島で引き渡され<永靖>となった。
 状態が良かったのか内戦では松滬、大陳島など各地を転戦、1953年には正式な護衛艦に改造され1960年まで使用された。

 基準排水量720トン/全長74.70m/ディーゼル3600馬力/速力20ノット
 兵装:3インチ両用砲1門、40ミリ機銃3門、20ミリ機銃5門


雅龍 -YaLong-

 元日本海軍・第4号型駆潜艇<第9号駆潜艇>。駆潜艇は対潜戦を主任務とする小型艇。第4号型は公式には第1号型に属するが、復元性能および船体強度の不安を払拭する為に一から設計をやり直した為、事実上は全く別の艦である。
 昭和14年5月竣工。基本的に外洋航行向きの船ではないが、開戦後は南方に進出して沿岸警備や近距離の護衛に活躍、1947年に青島で引き渡され<海宏>となった。
 引渡し後は再武装の機会のないまま台湾に脱出。1951年に再整備を行い<雅龍>と改称した。
 1954年5月17日に浙江三門湾で発生した中共軍との海戦では単艦で満身創痍となりながら多数の敵を食いとめ味方船舶の脱出を助ける功績を挙げた。
 1954年に実施された命名法の統一により<渠江>に改称され、1956年まで活躍した。

 基準排水量291トン/全長56.20m/ディーゼル2600馬力/速力20ノット
 兵装:不明


泯江 -MinJiang-

 元日本海軍・第28号型駆潜艇<第49号駆潜艇>。28号型は量産型駆潜艇である13号型をさらに簡易構造とし、さらに駆潜隊の創設により駆潜隊司令の座乗設備を追加した型であるが、13号型の後期型も同様の改定が行われているので区別が難しい。
 昭和19年1月3日竣工。1947年に青島で引き渡され<海大>となった。
 その後、再武装されることなく放置されていたが1951年に再武装を行い<PC−107 富陵>と改名、さらに1954年の命名法の統一により<泯江>となり1956年まで使用された。

 基準排水量420トン/全長51.20m/ディーゼル1700馬力/速力16ノット
 兵装:不明