中華民国(砲艦)


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長治 -ZangZhi-

 元日本海軍・橋立型砲艦<宇治>。日本海軍が建造した最後の砲艦。従来の大陸での権利保護を主目的とした砲艦に比べて実践的な設計が特徴で、むしろ海防艦に近い性能と性質をもっていた。
 昭和16年4月竣工。戦争中は大陸の沿岸で支援や船団護衛に従事、上海で終戦を迎え国府軍に投降し<長治>となった。
 <長治>は営口、威海衛など主に北方で活動したが1949年9月に叛乱を起こし中共軍に寝返り、その直後に国府軍機の空襲により大破した。
 その後、中共軍が修理・再整備を行い<南昌>と命名、1980年頃まで使用したらしい。

長治

 基準排水量993トン/垂線間長78.50m /ギヤードタービン4600馬力/速力19.5ノット
 兵装:130ミリ単装砲2門 37ミリ機銃6門


安東 -AnDong-

 元日本海軍・砲艦<安宅>。清朝崩壊による混乱と対日感情悪化に伴い建造された大陸での権益保護を目的とした海江両用の小型砲艦。目的上、威容にも気が配られており小艦らしからぬ貫禄がある。本艦は当初は<勿来>と命名される予定であったが中国語の意味合いが悪すぎる事から<安宅>に改められた。
 大正12年8月竣工。整備や修理の為に内地に戻る他は常に大陸にあり、在支部隊の旗艦を努めた事もしばしばあった。
 終戦時には上海に所在。日本への脱出を試みたが洋上で米艦に捕捉され降伏した。民国に引き渡された後は<安東>となるが1949年の第二艦隊叛乱事件で中共軍に投降した。
 同年9月に民国軍による空襲で大破するが修理の後に現役に復帰、1970年頃まで使用されたらしい。

安東

 基準排水量725トン/垂線間長67.67m /3段レシプロ1700馬力/速力16ノット
 兵装:3インチ砲1門 40ミリ機銃1門


威寧 -SienNing-

 元日本海軍・砲艦<興津>。さらに遡るとイタリア極東艦隊のオスティア型敷設艇<レパント>で昭和2年の建造。
 昭和18年にイタリアの降伏に伴い上海で自沈、日本軍により浮揚・整備の後に日本海軍に編入された。
 1946年に舟山島で民国海軍に接収、巡邏艇<威寧>となる。主に大陳島などの防御に使用され1956年に除籍となった。

 基準排水量615トン/全長66m/レシプロ1500馬力/速力13ノット
 兵装:3インチ砲3門 40ミリ機銃2門 20ミリ機銃2門


江犀 -ChiangSi-

 元日本海軍・伏見型河用砲艦<隅田>。昭和12年度計画の砲艦で我が国の河用砲艦の最終型。
 戦後は民国に接収され<江犀>となり、大破状態で引き渡された後に修理された姉妹艦<江鳳>(元伏見)と共に南京に配備されたが1949年4月に中共に投降、同年9月に民国機の攻撃により損傷を受けるが1960年代まで使用された。

 基準排水量304トン/垂線間長48.5m/ギヤードタービン2200馬力/速力17ノット
 兵装:3.1インチ砲1門
 同型艦:江鳳(伏見)


永安 -YungAn-

 元日本海軍・熱海型河用砲艦<二見>。昭和2年度計画の勢多型の後継型だが吃水低下対策に艦型は縮小されている。
 戦後は民国に接収され<永安>となる。1949年11月、朔江で中京軍と交戦中に投降し、1960年ごろまで使用された。

 排水量170トン/垂線間長45.30m/レシプロ1200馬力/速力12ノット
 兵装:47ミリ砲1門
 同型艦:永平(熱海)


常徳 -ChangDe-

 元日本海軍・勢多型河用砲艦<勢多>。大正9年度計画で、既存の河用砲艦の反省を活かした現実的な設計で江上戦力の主力として活躍した。
 終戦後は民国に接収され<常徳>となる。1949年11月に中共に投降、1960年代まで使用された。

 常備排水量305トン/垂線間長54.86m/レシプロ2100馬力/速力16ノット
 兵装:3インチ砲3門 25ミリ機銃3門


永済 -YongJi-

 元日本海軍・砲艦<鳥羽>。明治42年計画の国産初の河用砲艦。日中戦争では民国の河用魚雷艇と交戦し、太平洋戦争では開戦早々に英砲艦<ペトレール>を撃沈するなど武勲に恵まれた艦だったが、生涯で3回も捕らわれるという珍しい経歴(第一次大戦で抑留、太平洋戦争で降伏、中国内戦で投共)を辿った艦でもある。
 戦後は民国に接収され<永済>となる。1949年11月に江防艦隊が寝返った際に僚艦と共に中共に投降、1960年代まで使用されたらしい。

 常備排水量250トン/垂線間長54.86m/レシプロ1400馬力/速力15ノット
 兵装:3インチ砲3門 25ミリ機銃3門


太原 -TaiYuan-

 元日本海軍・砲艦<多々良>。中国の江南造船所でアメリカ海軍の河用砲艦<グァム>(後に<ウェーク>と改名)として建造され、開戦と同時に上海で日本軍に捕獲され<多々良>となった。名前から察するにどこかで姉妹艦の<ツツィラ>と混同があったのかもしれない。
 民国に接収後は<太原>となる。1949年4月に南京で中共に投降するが直後に民国空軍の攻撃をうけて大破。後に浮揚・修理され1960年代まで使用された。

 基準排水量291トン/全長56.20m/ディーゼル2600馬力/速力20ノット
 兵装:不明


江鯤 -JianKun-

 元日本海軍・砲艦<鳴海>。元は大正10年に上海の江南造船所で建造したイタリア海軍の河用砲艦<エルマーノ・カロッツオ>。昭和18年イタリアの降伏に伴い上海で自沈、日本軍により浮揚・修理され日本海軍に編入された。
 1949年に中共に投降、1960年代まで使用された。

 基準排水量180トン/全長*m/レシプロ1100馬力/速力14ノット
 兵装:3インチ砲2門


舞鳳 -WuFeng-

 元日本海軍・砲艦<舞子>。元は明治43年にマカオと珠江河流域の警備を目的に建造されたポルトガル海軍の河用砲艦<マカオ>。
 昭和18年にポルトガルより購入・編入し引き続き広東方面で使用した。
 民国に接収後も相変わらず広東にあったが1949年10月に広東艦隊ごと中共に投降した、その後もやっぱり広東で使用され、1960年代まで使用された。

 基準排水量133トン/全長36.5m/ディーゼル250馬力/速力11.8ノット
 兵装:不明