中華民国(海防艦)


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恵安 -HuiAn-

 元日本海軍・御蔵型海防移艦<四阪>。ただし四阪を含む日立造船桜島工場建造の9隻は船体的には後継の鵜来型に準じた設計になっている為、独立した型(日振型)として扱う事もある。
 御蔵型は従来の海防艦(占守・択捉型)の量産性が悪かった為に設計を改定、対空装備を強化した型であるが、依然として量産性が不充分だった為、さらに簡略化した鵜来型にシフトする事になる。
 四阪は昭和19年12月竣工。戦争を生き延び復員業務に就いた後の1947年8月に青島で民国に引き渡され<恵安>となり、同じく御蔵型海防艦の屋代(こちらは純粋の御蔵型)はまず<雪峯>のちに<正安>となった。
 <恵安>は1949年4月23日に中共軍に投降、1990年の<鄭和>の就役まで練習艦として使用されたらしい。
 <正安>は状態が悪く青島に放置されていたが、台湾脱出後に大整備を行い1963年まで現役にあった。

正安

 基準排水量940トン/全長78.7(78.77)m/ディーゼル4200馬力/速力19.5ノット(19.7ノット) 括弧内が日振型
 兵装:100ミリ砲3門 37ミリ機銃4門(恵安)
    5インチ両用砲2門 40ミリ機銃5門 20ミリ機銃4門(正安)
 同型艦:正安(屋代)


臨安 -LinAn-

 元日本海軍・択捉型海防艦<対馬>。状況の変化により南方航路の護衛整備が急務となった為に建造された海防艦。北洋漁業保護用の占守型をベースに設計された為、戦時量産艦としては複雑に過ぎていた事から計画30隻のうち14隻で打ち切られ御蔵型に続く事になる。
 1947年7月に上海で<対馬>が、8月に青島で<隠岐>が引き渡され<臨安><固安>となった。
 <臨安>は1949年5月に上海から台湾に脱出、敷設艇に改装されるなどして1963年まで現役にあった。
 <固安>は1949年2月に青島で機関修理中に中共軍に鹵獲。<長白>と改名して南海艦隊などに属し、敷設艇に改造されるなどして長く活躍。1982年に除籍となった。

臨安

 基準排水量870トン/全長77.7m/ディーゼル4200馬力/速力19.7ノット
 兵装:3インチ両用砲3門 40ミリ機銃4門 20ミリ機銃4門(臨安)
    100ミリ砲3門 37ミリ砲3門
 同型艦:固安(隠岐)


新安 -XinAn-

 元日本海軍・第一号型海防艦<第205号海防艦>。鵜来型の中速ディーゼルの生産が追いつかなくなった事から、低速ディーゼルを使用した徹底した大量生産型用として計画された護衛艦。
 中規模の造船所まで動員して132隻が計画、53隻が竣工したが26隻が失われ、残存艦のうち第67号、第81号、第85号、第205号、第215号の5隻と戦後も工事を続行し昭和21年5月に完成した第107号が1947年に民国に引き渡された。
 第81号と第85号は<黄安><吉安>となるが、1949年に中共軍に加入、<吉安>は直後に民国軍機の攻撃をうけ大破、1956年に退役となった。<黄安>は<瀋陽>と改名され1980年頃まで使用された。
 第67号は<営口>となり民国海軍に編入、長江突破に成功し台湾に脱出後<瑞安>に改名、1963年に除籍となった。
 第107号は<潮安>となり、1949年2月に青島から台湾脱出に成功、<瑞安>と同じく1963年に除籍された。
 第205号と第215号は<新安><遼海>と命名されたものの再武装はされず、<遼海>はしばらく陸軍が運送用として使用した。台湾脱出後、両艦とも整備・再武装を行ったが1954年に<新安>が澎湖沖で座礁事故を起こして放棄、<遼海>も1955年までに除籍となっている。

 基準排水量745トン/全長67.50m/ディーゼル1900馬力/速力16.5
 兵装:3インチ両用砲2門、40ミリ機銃2門、20ミリ機銃4門(新安、潮安)
    3.9インチ砲2門(黄安、吉安)
 同型艦:営口(67号)、黄安(81号)、吉安(85号)、潮安(107号)、遼海(215号)


成安 -ChengAn-

 元日本海軍・第二号型海防艦<第40号海防艦>。徹底した簡略化を行った戦時量産型の護衛艦。
第一号型のディーゼル供給に不安があった為、急遽計画されたタービン搭載型で設計着手から決済まで僅か1ヶ月、起工から竣工まで100日以下(最短記録75日)という非常な急成艦である。
 143隻が計画され63隻が竣工、このうち38隻が残存し、第14号、第40号、第104号、第118号、第192号、第194号、第198号の7隻が民国に引き渡された。
 第40号と第104号は1947年に青島で引き渡され<成安><泰安>となり、両艦は台湾脱出後も大陸の封鎖や東山島、四姆嶼、南日島などの中共との小競り合いでも活躍、1958年に除籍となった。
 第14号、第118号、第198号は上海で引き渡されたが軍に編入されないまま1949年5月の上海陥落に伴い中共軍に捕獲、第194号は<威海>となるが1949年4月の長江突破戦で中共軍に捕獲され、それぞれ<武昌><長沙><西安><済南>として1980年代頃まで使用された。
 第192号は<同安>となり、台湾脱出に成功するが状態が悪く、軍務に復帰する事無く1952年に除籍された。

 基準排水量740トン/全長69.50m/ギヤードタービン2500馬力/速力17.5
 兵装:5インチ両用砲2門 40ミリ機銃3門 20ミリ機銃2門(成安・泰安)
 同型艦:武昌(14号)、泰安(104号)、長沙(118号)、同安(192号)、済南(194号)西安(198号)