戦時急造艦である松型は優秀な駆逐艦であったが、戦時急造艦としては徹底さを欠き、生産性が予定の水準に達しなかった為、19番艦の<橘>から設計を改めたのが本型である。

 艦尾をデストロイヤースターンからトランサムスターンに改め、キャンバーを廃止し、フレアも直線に改め、船殻も全て軟鋼とするなど、大ナタが振るわれたが、性能的には、排水量37トンの増加と速力の0.5ノットの低下と、まったく同一とみて良く、従来艦の設計が「凝りすぎ」であった事が証明されてしまった。

 水測兵器に従来に九三式探信儀と九三式水中聴音器から高性能な三式単信儀と四式水中測音器に改められ、格段に潜水艦探知能力が増した他、機銃兵装も強化され、さらに有力な艦となった。

 50隻が計画され、終戦までに14隻が完成した。完成が終戦直前であった事から、被害は意外に少なく、<橘>と<梨>が失われたに過ぎない。
 生き残った艦は特別輸送艦として復員業務に就いた後、多くは賠償艦として連合国に引き渡され、日本海軍駆逐艦史は幕を閉じた。

橘型の戦い:護衛艦「わかば」 〜梨〜

 橘型の<梨>は昭和20年7月28日に瀬戸内海の柳井沖で米艦載機の攻撃を受けて沈没したが、昭和29年に引き揚げられ、状態が良かった為に修復工事を受け、護衛艦<わかば>として海上自衛隊に編入された。
 海防艦や掃海艇の中には、戦後、自衛隊や海上保安庁に編入された艦もあるが、駆逐艦では<わかば>ただ一隻である。
 <わかば>は昭和37年の三宅島噴火の際に避難民輸送に出動するなど活躍し、昭和46年に除籍されるまで活躍した。
 <わかば>の前部主砲は現在も海上自衛隊の第一術科学校(江田島)に保存されている。

丁改型型要目(新造時の橘)

 名  称   丁改型(橘型)
 ネームシップ  橘
 建造時期  昭和20年1月20日〜終戦
 建 造 数 14隻
 基準排水量  1289トン
 全  長   100.0m
 水 線 幅   9.4m
 吃  水   3.4m
 主  機   艦本式ギヤードタービン2基
 推 進 軸 2軸
 主  缶   ロ号艦本式水管缶(重油専燃) 2基
 出  力   19000馬力
  計画速力  27.3ノット
 航 続 力 18ノットで3500浬
 燃料搭載量  重油370トン
 乗  員   211名
 兵  装   12.7センチ40口径連装高角砲 1基
 12.7センチ40口径単装高角砲 1基
 25ミリ3連装機銃 4基
 25ミリ単装機銃 12基(計画値で実際はもっと多かった)
 61センチ4連装魚雷発射管 1基