軍縮条約の制約を受けずに計画された最初の駆逐艦。また、友鶴事件や第四艦隊事件の教訓も計画時点で盛り込まれており、過不足の無い極めてバランスのとれた設計となった。

 朝潮型は航続距離と速力が不満とされた為、本型では、缶に30kg/cm2・350度の高温・高圧缶を採用し、18ノット5000浬の長航続性能を実現、速力は当初36ノットを計画していたが、これを実現しようとすると、かなりの大型化が予測され、水雷戦に於いて高速化の利点より大型化の不利の方が大であるとの判断から35ノットに据え置かれた。

 第三次補充計画で18隻(うち3隻は大和型建造の為のダミー)、第四次補充計画で4隻が計画され、計19隻が建造された。
 このうち、第四次補充計画の<秋雲>は長らく夕雲型とされていたが、田村一等海佐らの研究により陽炎型という説が唱えられ、近年では陽炎型説が有力な為、ここでは陽炎型として扱う。
 なぜ、このようなややこしい事になったかというと、<島風>の試作でゴタゴタした為、名前や建造時期が前後してしまった事や戦時中の為に<秋雲>に関する資料や写真がほとんど無い事、そして止めに敗戦でそれらの資料や写真が失われた事に起因しているらしい。

 日本海軍が追い求めた航洋型駆逐艦の精華というべき傑作艦であるが、対空・対潜能力が劣った為、太平洋戦争では苦戦を強いられ19隻中、<雪風>を除く18隻が失われた。

陽炎型の戦い:駆逐艦乗りの意地  〜陽炎〜

 昭和17年11月30日のルンガ沖夜戦において<陽炎>は旗艦<長波>より撤収命令を受けながらなお、戦場にとどまり雷撃を敢行、さらには探照燈を照射して戦果確認を行なう という、非常に大胆な事をやってのけた。
 ルンガ沖夜戦は完全な乱戦となった為、この時点では日本大勝利という認識は持っておらず、「味方全滅」との認識をもっていた艦も多かったらしい。
 その状況下で、集中攻撃を受けかねない探照燈照射は「刺し違え」の為だけに猛訓練を続けてきた駆逐艦乗りの意地の結晶といえよう。
 (ただし、せっかくの雷撃は外れているし、照射確認も艦型・戦果ともに間違えている)


陽炎型の戦い:奇跡の駆逐艦  〜雪風〜

 いかなる戦闘においても大損害を被ることなく、終戦を迎えた<雪風>は「奇跡の駆逐艦」と称された幸運艦であり、その戦歴は運命論者でなくても、何かの力を感じさせるものがある。
 他にも航空母艦<瑞鶴>、駆逐艦<野分>などが幸運艦とされているが、当該艦乗員にしてみれば「幸運」であるが、僚艦から見れば、その艦の分の攻撃も受ける事になる「不運艦」であり、特に<野分>や<雪風>は「味方を食う」とも言われ、他の艦の乗員からは嫌われたらしい。

甲型要目(新造時)

 名  称   甲型(陽炎型)
 ネームシップ  陽炎
 建造時期  昭和14年11月6日〜昭和16年9月17日
 建 造 数 19隻
 基準排水量  2000トン
 全  長   118.5mm
 水 線 幅   10.8m
 吃  水   3.8m
 主  機   艦本式ギヤードタービン2基
 推 進 軸 2軸
 主  缶   ロ号艦本式水管缶(重油専燃) 3基
 出  力   52000馬力
  計画速力  35.0ノット
 航 続 力 18ノットで5000浬(計画値)
 燃料搭載量  重油622トン
 乗  員   239名
 兵  装   12.7センチ50口径連装砲 3基
 25ミリ連装機銃 2基
 61センチ4連装魚雷発射管 2基(自発装填装置付)