昭和12年度計画の駆潜艇。
 第1号型の欠点であった復元性能および船体強度を抜本的に改善する為、最初から設計をやり直した為、全く別の艇といえるが、公式には本型も「第1号型」に属している。

 艦上構造物をコンパクト化し、ダビットもラッフィン型からラジアル型に置換、外板も極力、薄い物を採用すると共に精緻な設計で強度を保つ事に成功、新造時から満足ゆく性能を発揮する事ができた。

 が・・・そもそも、駆潜艇は「有事における量産の為の試験艇」という位置付けで建造されており、戦時量産艦に精緻を求めてどうするつもりだったのかは今をもって謎である。(手段の為に目的を忘れていた説有力)

 開戦後は南方に進出、浅吃水で航海性が悪い為、進出には非常に手間がかかったが、進出後は使い勝手の良い艇として好評をはくした。

 本型は9艇が建造され、全艇が緒戦から南方方面に投入され7隻が失われている。
 艦型が過少な為、有効な対空・対潜装備ができなかった事も本型の被害を増大させる原因となった。

第4号型の戦い:インド人もびっくり 〜第7(8?)号駆潜艇〜

 福井静夫氏の著述によるとシンガポールに本型を入港させた所、イギリス時代からの工員のチーフのインド人が「船と飛行機の中間のような素晴らしいボートである!日本のインダストリーはこんな船をいくらでも作れるのか!」と感動したそうな。
 実際、精巧で素晴らしい船だが、日本のインダストリーはそんな船を何隻も作れなかったという所にオチが付く話ではある。

第4号駆潜艇要目(新造時)

 名  称   第4号型
 ネームシップ  第4号駆潜艇
 建造時期  昭和13年12月28日〜昭和14年4月30日
 建 造 数 9隻
 基準排水量  291トン
 全  長   56.20m
 水 線 幅   5.60m
 吃  水   2.10mm
 主  機   艦本式22号6型ディーゼル機関 2基
 推 進 軸 2軸
 主  缶   −−−
 出  力   2600馬力
  計画速力  20ノット
 航 続 力 14ノットで2000浬
 燃料搭載量  重油20トン
 乗  員   59名
 兵  装   40ミリ単装機銃 1基
 爆雷36個(投下条1基 (投射機2基)) 
同型艦:
第4号〜第12号